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人生が旅であれば、その途上でいつでも帰れる自分だけのかくれ里があればいい 住なれた新宿区から板橋区へ移ったはじめての春、石神井川に架かった金沢橋からぷらぷらと夜の桜を見上げな がら歩いたときのこと、加賀橋のあたりでパッと視界が広がった。するとそこに、なんとも言えない風景が現れ た。それはまるで上等な古墨を形づくっている鋭いエッジのようであり、古墨に彫られた龍かなにかの紋様がい ままさに蘇ったかのような感覚に似た、古いコンクリート造りの護岸構造物であった。硬質な広がりと深さ、垂直性、鋭利なライン、古色蒼然とした佇まい、に私はもうどうしょうもなく魅了されてしまった。 加賀橋の欄干へ前屈みにもたれたまま、薄暗がりな中でその聖獣≠飽きずに何時間も眺めていた。 このとき、私は「秘スレバ花」という世阿弥の妖花を思いだすとともに、海底へ沈んでいったイスの都やブルー ノ・タウトの空想建築画集「アルプス建築」に思いをはせてしまった。このことがきっかけとなって、ホームペ ージ「三千彦み組虚空博物館」の空想建設計画が始まった。 概 要 虚空博物館の虚空(こくう)とは何もないガランドウのことではあるが、何もないのではなく、すべてが存在し ている場所である。出会った刹那、飽きずに眺めつづけていた加賀藩江戸下屋敷跡をサラサラと流れてゆく石神 井川の水底深くに仮想建築をしたかくれ里、その水中樓閣に今日もうつうつと眠っているであろう私自身の分身 を私≠ヘ訪ね、私≠ヘ辿る・・・かけがいのない平凡な巡礼。そんな細道で見つけた眼ではみえない肝心な ものが隠しもっているであろう点・線・面の傷口をこころの手≠ナそっと撫ぜながら、可視化する。これが当 『三千彦み組虚空博物館』なのです。 花 ふ く み 金 沢 橋 か ら 加 賀 の 橋 こ え て い づ く に あ ろ う や、 樓 閣 美Cき風の徘徊ぷろじゑくと 仕事に没頭していると、新しい酸素を吸い上げようとして吸い上げきれぬ肺臓のピストン活動の鈍化、時折ポン プの弁が破損したようにしゅっと空気の逃げる心臓の奇妙な感覚、すっかりのびきって蠕動(ぜんどう)運動を 忘れた胃の重い圧迫された状態、こんな内臓の感覚が絶えず次々と押し寄せてきて休息の時もない。 これは埴谷雄高の「臓器感覚」からの抜粋であるが、都会的な生活が永つづき過ぎるとこれによく似た感覚に陥 ることがある。そんな時、わたしは草を苅ることにしている。たとえ草であってもそれはいのち≠ナあって、 鋭利な鎌で苅られた草は匂いもすれば体液のような汁を流して刻々と萎びれ果ててゆく。また、土を深く掘り返 せば逃げ場を失った虫たちが太陽の光にさらされ、苦しげに蠕動している姿を見殺しにしておくことはできない であろう。そんなかけがいのない一つ一つの出合いによって、眠っているわたしの五感は研ぎ澄まされてゆく。 それらの見識を大切にしながら、近隣の森を歩き、かくれ里として見つけておいた加賀藩江戸下屋敷付近にいま だ隠れひそんでいる史蹟や歴史をあばき耕しながら、明日へとつづく美しき風の兆候に身をまかす。そんなたあ いのない計画は「美Cき風の徘徊ぶろじぇくと」となって、「HP/三千彦み組虚空博物館+Blog/花鳥風月虹 の博物館」へと少しづつ集積されてゆく。集積されてゆくバーチャルなコードそのものが、実は本当のかくれ里 なのかも知れない。 *都立赤塚公園周辺に広がった武蔵野崖線 City and country life 東京23区内にある板橋区を 田園だとかカントリーだと言ったなら、たぶんだれからも冷笑されたり激怒される だろう。しかし、個人的な意見で恐縮だが、わたしはそう思う。理由は簡単、植物や樹々が美しいからだ。 頭脳はシティに、生活はカントリーに… 都会の情報は眼をつぶっていてもシャワーを浴びるが如くに私を濡らす。それもまた一興、とても大切なことで はあるが、湯や水をのべつまくなし浴びていたのでは伸びてふやけてしまうだろうし、風邪もひこう。だからほ どよく外へ出て太陽を浴びながら、武蔵野崖線を飾る四季の花々と遊び、色とりどりの四季を守るべきお手伝い もする。雨が降れば人並みに本を読む。イギリス風とまではいかないが、いま、私は、人間生活の基本を楽しん でいる。 *L’Homme qui plantait des arbres/木を植えた男 |
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