All Rights Reserved 2015 michihico SATO

            

 

W e l c o m e !

VIVA MICHIHICO MIGUMI                    

WEB MUSEUM                

Atelier Snow_Drop

Illustrator & Poet

 

 







 

 

TANGO! それを踊っているだけで、ぼく自身でさえ知りえない自身のことをいつもしっかり教えてく
れる。そしてそのことが、新たな表現になってゆく。

この小部屋は、三十一文字(みそひともじ)によって構成される定型一行詩の骨格を人体と見立て、そ
れをフランケンシュタイン博士のごとくに解体し、ふたたびに、アルゼンチンタンゴのプロポーション
へと蘇生させてゆく実験空間です。

     
+          探 戈 日 暮 ら し の 記 
  タンゴ・ヒグラシィーノ

      レイチェルはコートのボタンをはずし、クローゼットのハンガーにかけた・・・。爪先に軽く重心をかけた姿勢。わずかに
      肱を曲げて下に垂らした腕。油断のない、さしずめクロマニョンの狩人のポーズだな。

                             フィイリップ・K・デック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』より

     
     ヴィリエ・ド・リラダン全集 第二巻 栞より
      『未来のイヴ』挿絵画 ジャック・ノリエ



見 わ た せ ば 花 も 紅 葉 も な か り け り 浦 の と ま や の 秋 の 夕 ぐ れ   藤原定家

この歌は名所・旧跡らしきものが特にあるわけでなく、うら寂しい夕暮れどきの灰ねずみ色な
世界を詠んでいる。珍しいものは特に「なかりけり」なのだ。しかし、その虚無をことさらに
愛でる定家の眼には、刻一刻と変化してゆく茜の空が映しだしている千変万化な光と影が綾な
す風情を、美しいものとして見ている。

タンゴにもこれによく似たことはある。エキセントリックに動いて見せたり、自慢の足さばき
をくねくねさせながら女性を力づくで引き廻し、その大技でホームランを次々に打出している
ぞと云わんばかりの得意顔。女性はたまらないだろうが、タンゴを習い始めたころ、こうゆう
踊り方はカッコよく見えたものだった。しかし、見える眼を持てば、表で見えていることと本
質は往々にして違うことのほうが多いだろう。例えば、静かにカミナンド(歩き)しながら眼
には見えない魂の領域で力みなく落着いたアブラッソ(抱擁)をしながら、ふいに立ち止まり
、ふいにゆっくりと回転したり、互いの息と鳩尾の振子を音の調子にあわせながら身体や魂を
揺すりあっている二人を見つけたとき。そこに艶やかなものがあることを知る。

        https://www.youtube.com/watch?v=_lo8iQ2QHWc







                       たなび
惑 は ず な く ら ら の 花 の 暗 き 夜 に わ れ も 靆 け 燃 え む 煙 は       藤原顕綱

クララの花とはなんともモダンで、ざっといまから千年も前の歌とは思えないほど佳き香りの
する歌ではないだろうか。その「くらら」を調べてみれば、マメ亜科の多年草で和名は眩草・
苦参とあった。根っこを噛めばクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)といわれ
、転じてクララと呼ばれるようになったとか。アルカロイドを含む有毒植物とも記してあった
。が、毒は往々にして薬となるわけで、クララはさまざまな薬物として使われたり紙の原材に
なったりしている。しかし、ここでのクララは心惑わせるまでの空薫物(からだきもの)とし
て登場している。つまりが、ここで歌われているクララとは香水の如きものであって、最後は
入道にまでなった若き日の藤原ノ顕綱(あきつな)に、第四句「われも靆(たなび)け」とま
でいわせた女性とは……。心を乱さずにはおれなかった薫香の惑いとは……。

タタン・タン・タンという激しい軍靴の響きがする曲を踊り終えると、つぎは
「Remembranza」という郷愁を誘った曲がゆっくり流れはじめてきた。コネクションをより
丁寧にしながら動作いていると、曲の中ほど、どことなしか相手の女性からぷんと強い匂いが
漂ってきた。さっきまではさして気にもならない浅いフローラルな香りだったのに、それが神
秘的となり、やがて情熱的でセクシーなものへと変化していった。くららの花の火の薫(かお
り)が胸へたなびくとは、このように変化してゆく“魔/間”のことだなと思った。

        https://www.youtube.com/watch?v=dz6NMjkyI8M







夜 や 暗 き 道 や ま ど へ る ほ と と ぎ す わ が 宿 を し も 過 ぎ が て に 鳴 く
 紀 友則

まずもって、疑問と濁音の多い惑いの歌だ。暗いぬばたまの夜の空の鳥の道の行手をうしなっ
たホトトギスが、作者である紀友則(きのとものり)の屋敷か宿かはわからぬ辺で啼いている
。作者自身も、自分の家へまっすぐには帰れない何か趣があるような、やはり惑っている。そ
れへ六つの濁音が畳みかけてゆく…。なんと息苦しい歌だろうか。

私がまだ中学生だったころ、『シャボン玉ホリデー』というテレビ番組があった。ザ・ピーナッツがメインになって歌って踊る元祖エンターテイメントなショー番組で、多感な少年時代に夢やインパクトを与えてくれたとても楽しい番組だった。そのころ、これといった目的もなく、腰にノコギリと鎌をぶらさけながら愛犬のシロとともに野山をほっつき歩いていた時期に、この番組からなんとなし一筋の光のようなものを見出していた。裏方ではあったが、黒い服を着て踊るバックダンサーになりたいと願った。しかし情報のない田舎暮らし、まだまだダンスは軽薄なものであって、男のやる職業ではなかった。そんな時代、まわりの意見をはねのけるほど私はいまだ強くなかった。

この歌が指し示している濁音の多さは、ダンサーになろうとしたことがたんなる憧れでしかなかったような、そんなおぼつかない自分自身の夜のごとき暗い惑いのギザギザを思いおこさせる。だからこそ老残の身となった肉体や精神へ、おじいちゃんのボクからあのころのボクへ心ばかりの贈物をして上げている。

        https://www.youtube.com/watch?v=VkkaT20fOmY







見 わ た せ   藤原

旅を



見 わ た せ    藤原 顕綱