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                         ノ ウ ・ ダ ン ス Vol;001
                                           雪月花、修羅
                       N O H・D A N C E



2018年
 能楽の情報サイト『the能ドットコム』で、「操縦の美学に惹かれて」と言うエッセーを執筆しました。

       

        操縦の美学に惹かれて


あわただしい時代の中で、ふと自分を見失いそうになった時、本箱の硝子戸を開く。そして古
びた本の1ページを求めて読んでみる。それから、おもむろに自身の記憶や存在理由の影をそ
こに見つけて、それなりに胸を張り、また前進しようと力を満たすことがある。

古びた本とは、1978年に発刊された平凡社の『別冊太陽 No.25/能』のことである。中に鈴
木忠志という演出家の人が書かれた「ブレーキの暴力」という記事があって、その文章とともに掲載されている早稲田小劇場の小さな写真を見るのが好きなのだ。写真は白装束の白石加代
子さんが額に傷を負って三白眼でヨロリとバランスをとりながら、タタミ半畳の上へ立って、能登の輪島市に伝わる御陣乗太鼓のあわれな仮面被りの海藻のような黒髪をだらりと垂らし、日本刀を傍で構えている男の腰つきを不安定なまでに弱らせている。双方ともに、今では写真
と記事がわたしの中で一体となっていて、そこのページを開いただけでもう満足なのだ。

「ブレーキの暴力」、いい言葉だと思う。

ポーランドの演出家イェジュィ・グロトフスキ氏が来日した折、鈴木忠志さんが青山にある銕
仙会へ氏を案内し、観世寿夫さんの稽古風景をご覧になった時に氏がもらした言葉とのことだ
った。「肉体的生理的な苦痛や抑制のまま、空気を切り裂くように暴力的にそこに存在する。
しかも、静止して」。これがグロトフスキ氏の言うところのブレーキの暴力なのである。勿論
、わたしがそんなことを早くから気づいていた訳ではない。ポール・ヴィリリオの著書『純粋
戦争』や『戦争と映画』を、なんとはなしに購入しておいた後に見つけたNTT出版の「 Inter
Communication 」の中で、彼が唱えた「ドロムス/速度革命」という記事を読んでからであ
る。それによると、「ファラオのミイラマスクの上には鞭と鉤棒がクロスしていて、鞭は伝令
の歩みを加速させ、鉤は戦車を引く馬をつなぎ止め、ブレーキをかけるためのものであって、
そのことは一切の政治がもたざるをえない速度体制的性格を示している」……。これを読んだ
時に、愕然として「ブレーキの暴力」を思い出し、「速度学」と言う" 操縦 "の美学を学んだ。
あらゆるものはたとえ静止していたとしても、絶対的速度を所有していなければならない。手
近な見本として、能楽があることを改めて知ったのだった。このようにして能楽を見てみると、いままで見えなかった事物の有様がまざまざと見えた。

能面が少しでも下がり過ぎていると顎が隠れ、人間の存在感が弱くなる。面(オモテ)の力が
勝ったぶん、人の生命力が萎えて退屈な舞台となる。あるいは、装束の合せ目がひどく日常的
であったり、咽喉と胸と顎と面とのあいだにある半月球の空間が散漫であったり、鬘と面の毛
筋がひどくズレていて緊張感が抜けていたりと、まあ見るほうは勝手気ままであるが、そうし
た事のいちいちがとても大切なことであることを自ずから知るようになった。このことはシテ
やワキばかりでなく、囃子方の鳴物がペラペラポコポコという場合もある。また、地謡座の腰
付きが妙にべっちゃりと踵へ吸いついてしまっていて、昨晩どこかで呑み過ぎたか、節はそろ
っていても情景や心情がまったく無くて気が抜けている場合もある。これは意地悪で言ってい
るのではなく、時にそういうことはあるからだ。

ところで、能の醍醐味を知ったのはなんといっても大鼓方の大倉正之助氏の存在が大きい。彼
の居ずまいはたえず堂々としていて、馬革をピンと張りつめた大鼓を素手打ち(普通は指革を
つける)しながら、「イヨォ〜ロロロロ〜」「カーン!」と、振り絞った掛け声で人間界をず
んと越えたものを見せてくれた。彼は揚幕の辺りをそれとなく視界へ入れて、見るとも見ざる
の構えでシテ方の登場を充分に引き付けながら、まるでコンダクターのように、隅々にまで気
を充満させている。それでいて、水平にのばされた素手打ちの右手がだんだん加速するほどに
、野を駆ける獣の脚となってゆく。わたしはこんなにも真っすぐな才能を持った大鼓方をそれ
まで見たことがなかった。毛穴は無限に開いて、鳥肌が全身に立ったことを今も思い出すが、
彼の居場所はいつでも漆塗りの床几へ圧しとどまったたままだ。このブレーキの暴力とアクセ
ルの全開による緩急合意が能楽堂全体になされた時、観客である我々はいとも簡単に夢幻地獄
や極楽へと催眠者のごとくに誘われてしまう。だが、この事は滅多にあってはならない危険な
賭なのだろう。たった一人のために調和やバランスを欠いてはならないからだ。しかし、わた
しはそのような夢まぼろしを以前に見たことがあったような気がする。

時が流れてもいまだ深く印象に残っている演目に、観世暁夫(九世銕之亟)氏がシテを演じた
「井筒」がある。その日は地謡座の唱人たちもシテやワキにつぐ名脇役者であった。シテ方の
ほんのわずかな動きで、彼らの着ていた無数の白紋付までもが見事にちらちらと輝く月光とな
って、見えないはずの井戸の中の水月に見えたことがある。また、八世銕之亟氏の「朝長」の
動きは恐いぐらいに良かった。まるで齣落としされた映画を見ているような激しい存在が幾重
にも残像したまま、個々の幻影が重層的に交錯しながら電撃武者のように震えていたのを、い
までもはっきりと思い出せるからだ。
 
舞台とはすべからく調和のためだとはいえ、鈍いものを客がたらたら見せられてはかなわない
あってはならない危険な賭でも、わたしはいつでも"其処"こそを見てみたいのだ。





        
                         佐藤三千彦(イラストレーター)




                     *  *  *




能楽の情報サイト「the能ドットコム」でも「操縦の美学に惹かれて」と言うエッセーを書かせて戴きました。こちらも併せてご覧下さい。


       http://www.the-noh.com/jp/people/essay/002michihico.html




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