銀 水 引「能楽詩集」より                 by  佐藤茉莉 三千彦





        シテ/弥勒
        ワキ/夜叉
        所 /神楽坂
        時 /はてなの小道



弥勒  「むかし、白テントと云う小さな劇団があったのを知ってるかい。

夜叉  「ああ、知ってるさ。
     六〇年代後半に活躍してたが、たしか団長が行方不明になったとか
     で突然に姿を消した謎の劇団だろ。大のファンだったさ。

弥勒  「ふふッ、貴様もぞんがい酔狂な男だったんだな。

夜叉  「白テントとは云っても雨風に汚され、まだらな紋様が淡い水墨画の
     ようで痛快だった。
     あれは、紅テントや黒テントの先駆けだったよな。

弥勒  「ああ、そうだ。
     出し物の一番人気は『瞽女』で、汚れたテントがいいぐあいに雪の
     原になっていた。

夜叉  「………懐かしいな。
     白テントをささえる丸太の足場が蜘蛛の巣か、雪舟の秋冬山水図の
     冬景を思わせたぜ。

弥勒  「そうよ。その雪舟の絵の中の旅人のような白装束の瞽女こそが団長
     の十八番で、興にのれば蜘蛛の巣のような足場へ飛び乗って、梁の
     上でゆきつもどりつもだえながら、背中にかついでいた太棹を小脇
     へ抱え、足の指やら舌を使ってむちゃくちゃに演奏をしていたのを
     おぬし覚えているだろう。今日がその団長の命日っていうじゃない
     か。

夜叉  「エッ! いや、へ〜?! だけど、あれでもどこかのれっきとした検
     校に習っていたそうじゃないか。

弥勒  「さーてと、その検校よ………。たしか、濁江検校とか云っていた
     な。

夜叉  「むむッ! 濁江検校に? おれの知っている女に、三味線で越後獅
     子を粋に弾くのがいてね、この女、その検校に習っていたと聞く。
     ななッ、な、南無三宝………。


【間狂言】イヤーッ、カン。イヨッ、ポン。イヤーロロロッ、カン、カン、ポ
     ン。ポン。
     きょうはなげなく永明寺のほうへ曲がりますと、すっかりわからな
     くなって、このへんをいくどもぐるぐると廻っているうちに、ふと
     見るとお宅の表札に夜叉と書いてあるじゃありませんか。
     いちどおたずねしなければと思っておりましたもんですから、ふら
     ふらと玄関へ入ってしまいましたのよ。


地    牡丹は持たねど越後の獅子は 己が姿を花と見て 庭に咲いたり
     咲かせたり

夜叉  「はて、そら耳か?

弥勒  「で、その女とおぬし、その後どうなったんだい。妙に気にかかる
     じゃないか。

夜叉  「………………………………。

弥勒  「どうしたんだい。きゅうに黙りこくって。

夜叉  「行方わからずだったが、今日がその女の命日なのさ。

弥勒  「ほーッ! どうりでさっきから、おぬしの尻ポケットより銀水引の
     糸が三下がりの泪にたれていて、つくづく闇夜に美しいと思った
     ぜ。団長と女のために、夜叉、今夜は能登の菊姫でも飲もうや。

夜叉  「ああ、とことんつきあってくれるかい。

地    ふと友につぶやきて かたわらを見る夜叉に おぼろ光をうける黄
     泉路から 女の面影 虫の声


             ※久生十蘭「黄泉から」の一節を無断で使用し、変更したことを記す。
                    

                


               銀水引/終

                
                Poemへ戻る