人魚と黒騎士「能楽詩集」より       by 佐藤茉莉 三千彦







          シテ  /人魚姫
          シテツレ/兜蟹いそぎんちゃく(その他)
          ワキ  /黒騎士
          ワキヅレ/鷹
          所   /松や砂が失なわれつつある海岸(例えば、鼓ヶ浦)
          時   /晩夏(鎌倉時代のようであって近代)



地     うるわしき夏の日の午後五時に
      かの人に逢わむ と
      海の戸の戸をこじあけて
      一人ぬばたまの扇藻(おうぎも)をまといてあらわるる
      あわれ人魚姫(うみつもの)

シテ   「ぬれ濡れし裳裾。
      みだれみだれしヨードの巻毛。
      ただうとましく、
      海より曳きずりたる水帯リボン脱ぎすてて。
      流行の色ぎこちなく羽織りては、
      闇にむかいて挨拶をする。水糸の聲。

シテツレ 「風の音、波の音。ただその聲ばかりぞする。

地     そろうりそろうり 流砂の城にいると聞く
      黒百合の騎士あらわれて

ワキ   「たれかそれ、そちは乙女か………。
      汽船(ふね)はみえぬが飛行機でか、エキゾチックな貴婦人の
      君よ。

シテツレ 「おとめ頬染めなよなよと、月にあらわれ。

シテ   「なにの因果かかねてより、ぬし様に添いたしと。
      このからだ、この心、逢えば云おうとおもいつつ、言葉みなわ
      する。
      夢でなりとも、せめて逢わせ玉えや。と。
      こうしてはじまる異類婚はあるそうな。

シテツレ 「逢うてはみたがなんにも云えず。濡るる手紙もわたせずに。
      せつなし海百合、わが、姫君様はうみつもの。

ワキヅレ 「たたずむ黒百合、わが、殿君様はやまつもの。

シテツレ 「影のむすびはなるものの、二人はいまだにむすばれず。
      風にふかれて、に、ほ、へ、い、ほ、に、ほ。
      歳の数だけサパティアードする、
      男と女。聖なる獣。
      海の百合さま。山の百合さま。月に浮かびて。

地     海の百合さま 山の百合さま いちほ にほ さんほ しほ
      手に手をとりて歩み寄り 手に手をとりて歩み寄る

シテ   「唐傘海月(からかさくらげ)の水パラソルで。この頬かくし
      て、顔かくし。
      そっとかすめし接吻(くちづけ)に、ただ嬉しくて、はずかし
      の。
      甘く錆しな二人のかおり、そのかおり。つつがなしや! と。
      おもうがいなや、
      時の無慈悲に流されて、あわれ磯匂いたち、鴎なきとぶ。
      嗚呼!
      ひえびえとした、かわたれの朝。
      はや、 
      夢の浮島、しずみゆく。

シテツレ 「乳白の秋ふかまりし。

シテ   「兜蟹。さくら貝。いそぎんちゃく等、
      ひとつふたつと別れゆく。

シテツレ 「月は‥‥‥。

シテ   「月は雲にいだかれて、その懐に滅して消ゆる。
      潮も、巖と別れたり‥‥‥。

シテツレ 「いずれいずこも孤独法師(ひとりぼち)。
      いだきあうばかりが愛でもあらずに。と。

地     海の聲のざれことば
      淡し泡のごとき恋人たちへ いま鎮魂のカンションを奏でん

シテ   「ぬし様の、心しらされぬまま別れるとは。
      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
      みなわなす、脆きがいのち悲しむは、
      御玉杓子(おたまじゃくし)の尾鰭のまんま、
      溺るることか、死すことか。
      うれし愁いし、憎し憎らし呪いつつ、
      青空をながれゆくあの箒星ひとつへ、誓う。

地     炎に雪が載るならば
      ふたたび逢わむ耶蘇降誕のジングルのベルのクリスマス

ワキヅレ 「騎士、こころえたりとばかり三度(みたび)うなずき、
      かち色の乙女が髪へ、黒百合の花を飾りたる。

地     海よ 山よ そのあいだ 
      わずかな白砂 青い松
      また逢えるだろうか うみつもの
      また逢えるわよ やまつもの
      きっと此処で この白砂で この青松で
      ね また逢えるわよ
  
ワキ   「あわただしくも、なぜにこんなに涸れはつる。
      恋は白砂、青い松。
      しらしら知らぬが、なすな恋。
      恋し別離(わかれ)は瞳に眉に。顎に乳房に内在魂(ないざいこん)。
      やれな骨盤ぬれ髪に。いざや、さようなら。

地     乙女涙をのみて

シテ   「ぬし様の、耳に、瞳に、歯に、鎧。
      爪に、睫毛に、その剣(つるぎ)………。さようなら。さよう
      なら。
      うみ山あいだ、さようなら。
      ゆきたくないが、ゆくべき処へゆくゆく私。

地     乙女 吐息をもらして身を海へ ぐっとそらせて別れゆく

ワキ   「炎に雪が載るならば、
      ジングルのベルのクリスマス、
      サン・タポリナアール・イン・クラッセの石柱で………。

シテ/ワキ「あなたと(ワキ)、わたし(シテ)。
      海の白砂(シテ)。ぽぽんがぽんぽん(地)。
      山の青松(シテ)。ぴ〜ひょろぴ〜ひょろ(地)。
      鼓ヶ浦の海岸で、ぽぽんがぽんぽん。ぴ〜ひょろぴ〜ひょろ(合唱)。
      また逢いましょう。みんなつどいてまた此処で(合唱)。
      ぽぽんがぽんぽん。ぴ〜ひょろぴ〜ひょろ(地)。

地     それまでは

シテ/ワキ「逢うか(ワキ)、逢えぬか(シテ)、わからぬが(合唱)。
      凸凹(とつおう)の人生をそれぞれに(合唱)。
      いざ!(ワキ)、どこまでも!(シテ)。
      時の無慈悲に流されようぞ。人魚と黒騎士(合唱)。

地     流されようぞ 人魚と黒騎士
      流されようぞ 人魚と黒騎士




                 幕


             人魚と黒騎士/終

                
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