POETRY DIARY
タロットの地図を旅して

チャツランガ遊戯



 ゼロの切り札

百年に一度の意気消沈で
フックをかけられ
リストラされて
街へあふれでた人々は
全体という社会性からはじかれて
路上生活者となり
分割された運命にさらされる
はじかれた人々は
とるにたらないものとしてあつかわれ
正確で高価なクォーツ時計連中・・・
つまり 黄金の人参を鼻っ先へぶらさげた
時間泥棒たちの人身御供にさらされる

アルツハイマーの野良犬と暮らす
不透明な愚者は
空き缶と引き換えたわずかな小銭から
食パンをちぎっては与えている
下界の情景や情報はもはやなんの意味もなく
愚者は言葉なき盲目の犬とともに
一連の切り札から切り離されて
ひとりジョーカーとして生き残っている
破れた靴を履いた彼の本能は
いつの日かまた
きっと失くした骨牌(とらんぷ)の
絵札の王となれるだろうか



 
四番目の切り札

つぎは
王の絵と
考えていたら
王の絵を
まだ
描いてもいないのに


絵骨牌
IIII(4)のカードを
抜いてしまった

タロット弄り
しはじめて
タロットの世界と
わたしの
世界

あまりにも
一致
しすぎる

奇妙な
偶然

連鎖

どちらが

どちらが


まあ
どっちだって
かまやしない
どの道
人生は
ゲームだから

誕生
成長
衰退


舞踏

後悔する
決断
放蕩による
興奮
情欲による
困惑
束の間の
財産

行き届いた
管理

安定
労働は


これが
王の札

金だろうが
泥だろうが
かまやしない
どの道
人生は
ゲームなんだ

たとえ
的外れであっても
気ままこそ
旅の理想

誰かが云った

あのね?
死がね!
近づくほど
快楽を
生むんだ

子供のころ
木馬に跨がった
オモチャの王

首を
はねたことが
ある

あれは
父とよく似る
オレの

だったろうか

残酷で
懐かしい
気分を

快感する



 
六番目の切り札

かつて「書を捨て街へ出よう」と
本好きな人が云っていたことがあった
あれは頭デッカチになるなという戒めであろうが
いまではその言葉も死語となり 
掘っても見つかることのない化石となった
だってすべてはマニュアルづくしの世の中だから
でも そんな言葉の裏にはもうひとつ 
少年であれば母親から
少女であっても母親から決別をして
(どうせ父親はいつだって影のようなものだから)
かがやかしい精神と本能のおもむくままに
おそらくは自由になりなさいと
物狂い(ルナティック)な恋や旅をしなさいと
その人はたぶん云っていたのだろう

おれたちはことさらに書を捨てなくっても
ガキのころから牙が生えていたので
そこいらのドブ板をすでにうろついていたが
あれは皆が本を読んでいた時代だったからこそ流行った言葉であり
そういう下地があったからこそ「外向き」になれたのだろう
いまの時代 目を逃がしてものをいう若者が多くなって
耳にイヤホンのコードを垂らしながら
手にした携帯電話を顔の近くへくっつけたまま
白い光線でゾンビのようになった顔をちらつかせ
だれかの作ったルールやマニュアルの街を歩いている
楽といえば楽で洒落てるが 
ずいぶんと不自由なのではないだろうか
「だって君! それじゃ前も後も、縦も横も、天も地も、獣道はたった一メートル範疇しかないだぜ」と
「恋人」と呼ばれるVI(6)のカードの中にいたキューッピットが
電波の届かなくなったジレンマから
「けへッ!」と笑って頭越しに過ぎてゆく



 九番目の切り札

夜になると雨が降り
塵は流され
雷鳴がとどろき
棚の上のとらんぷが落ちる

大アルカナのうち
隠者の札だけが
表を明け
自己覚醒していた

この秘術師グルは
世界の秩序の代弁者でもなく
均衡を計る天秤を手にしているわけでもない
ただそこにいるだけ

あ! 稲妻が走った・・・

都市はたえず闇夜の中にあって
いとも簡単に停電する
が 隠者がもたらす黄金の炎は
目に見えない恐ろしき秩序を解き放つ

たとえば忘れかけていた孤独の過ごし方
雷鳴がわたしに触れて
光がわたしに触れてレッスンするが如く
IX(9)の札はレッスンする

この世は橋であり
その上を渡りはするが
そこに
家を建てるべきでないと



 
十三番目の切り札

キンモクセイの花がよく薫うころ
産まれてまもない小猫が三匹
街路樹の下でぴょこぴょことたむろしていた
一匹はまっ黒で
あとの一匹は黒と白の斑で
最後の一匹はまっ黒だったが
この小猫は前脚の片方に白い足袋を履いていた

十三番目のタロット・カードを引いた夜
オレンジ色のキンモクセイはもう薫わなかった
「小猫にエサを与えないで下さい。小猫は保護しました」
街路樹に貼ってある紙がなにを意味しているのか解らなかったが
実際 キンモクセイの花は散ってしまって
小猫の遊んでいた辺りには
無数の小さな花々が落ちていた



 
十八番目の切り札

十八番目のタロットを引き抜いた夜
月はおぼろづきだった
カードには王家の紋章のような鷲の格好をしたザリガニが
ハサミを月の乙女にさしだして
ヴァージン・ムーンを抱こうとしている
人造人間エドワードがキムを抱こうとした時のような
なんとも頓狂な格好をしていたが
薄暗い水の中に閉じ込められたザリガニは
丘へ這いずり上がることもできずに
月を抱くことはできなかった
「抱いて」と云って迫ってきたキムになす術もない
それは『シザーハンズ』のエドワード
粗野なジムという名の猟犬に追い立てられて
山の上にあった屋敷へ逃げ込もうとしたが
はたして 彼はその塔へ無事に辿りつけただろうか?

(マルセイユ版タロットの旅人は
   番犬のむこうにそびえ建つ
      二つの塔へ無事に辿りつけただろうか?)

自我は小さな町の池のあたりを彷徨って
あらゆる側面と接触をなくしたハサミ男エドワード
彼は人間界から金属界のレベルまで落ち込んで
心細く 
寒々として
黝(あおぐろ)い水の中へ見捨てられたまま
引き返すことも
行くこともできないでいる
デプレッションな池に映った山の上の塔の窓辺あたりから 
錆びたハサミをつきだして
サクサクと氷の雪を降らせている
十九番目の「太陽」が出現する日まで
琥珀の中へ閉じ込められた虫けらのように永遠に
われらがエドワード・シザーハンズは
今日も氷の雪を降らせている



 
十九番目の切り札

太陽によって生みだされた生物として
太陽とともにあることを喜ぶ
レイ・ブラッドベリの言葉だが
火が奪うだけのものではけっしてなくて
火はあたえることができる
その事を『華氏四五一度』の書籍で見つけた夜
ひどい嵐の夢を見た
ほかに『ムーミン谷の彗星』という本を夕方に読んだからだろうか
太陽のように円くて大きな彗星が
真っ白く輝いて火焔坊主となって追いかけてくる
たぶん『華氏四五一度』の火トカゲや流星嵐のせいだろう
ともかくも とてもひどい嵐の夢だった

朝になって
なんだかあまりにも不吉だったので
眠気眼でタロット・カードを一枚引き抜いた
するとXVIIII(19)枚目の切り札
つまり「太陽」のカードが顔をだした

「太陽」のカードには永遠の子どもたちが遊んでいる
「悪魔」のカードに登場した子どもたちとは違っていて
スナフキンやムーミンたちのように
神域 すなわち遊ぶことのできる聖なる森の中で
太陽とともにあることを喜ぶセルフな人間!
たとえ『華氏四五一度』の雪降るの森の中にあってさえ
太陽は毎日を燃えている
だから その軸を中心にして手をぬくめ
手をさしのべあう人々は
焼かれても焼かれても不死鳥のごとく薪を積みあげて
検閲者の灰の中からなんどでも甦る
そは 啓示の光を放つアポロンの子らよ



 
二十一番目の切り札

真夜中に
西洋絵骨牌を
一枚抜く

XXI(21)のカード
「世界」だった

絵骨牌の四隅には
獅子

牡牛
天使
の四大元素が
配置され
楕円形の大きな花輪があり
内にダンサーがいる

楕円形は
渾沌であり
子宮であり
ヴァギナであり
種子であり
卵であり
惑星だ

楕円には
2つの
ポイントがあって
一つは天球
一つは地球
それらは相互に
浸透し
世界卵を産み落し
金が孵化するという
哲学者の卵を産む

ダンサーは
女のようであり
男のようであり
実のところ
両性具有者!

絵骨牌の意味は
人と事物の協調・・・
この上もない上昇・・・
そして
均衡の回復・・・
ほんとかな?
ほんとだろうか?
そうだといいな

と思った
午前ゼロ時
青いドラゴンの絵を
描き終る
陰陽五行では
青は東
赤は南
白は西
黒は北

朱雀
白虎
玄武に変わって
今後もまた
ドラゴンは描くだろうが
この青いドラゴンは
初心にもどって
下書き無しで
水を主体に
描いてみた

機械に呆け
怠けてて
筆は使わず
すっかり描けなく
なってしまっていたが
合間合間の
リハビリの末
最後はやはり
結局は・・・
自然
相互浸透していたであろう
若い日の
初心へともどり
下書き無しで
うすい
うすい
水を主体に
描いてみた

まだまだ
しゃっちこばって
固いけど
でも
いつもよりかは
ちょっぴりと
上昇したかな・・・
と思う
午前ゼロ時
二十五分
一人ぼっちの
ワン・ステップ
ツー・ジャンプ






                
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